F-105 Thunderchief Part.7 Name:Takafumi HIROE Date:2012/06/19(Tue) 08:11 No.6619
>皆様 引き続き皆様のサンダーチーフにまつわる話題をお待ちします。 さて、そろそろ最終章を見極める時期でしょうか・・・。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:すっかいうおりゃ Date:2012/06/19(Tue) 08:51 No.6620
広江さん、皆さんおはようございます。 1980年のヒルAFBのF-105ラインは、全てB型でした。その後 D型の配備となったようですが 当時は見渡す限りB型。(撮影当時は、初めて見るF-105で 型式は注意もしてしていませんでした。笑) 同じヒルに移動訓練に来ていた 同じAFRES,テキサス州のF-105Dです。ワサッチ山脈の雪化粧の山々がきれいでした。457TFS、カッズウェル空軍基地からの飛来です。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:すっかいうおりゃ Date:2012/06/19(Tue) 08:54 No.6621
写真が前後いたしました。私たちが初めてヒルを訪れた時に カナダ空軍も含む大きな演習をしており 電子戦でEA-6Bも2機来ていました。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:geta-o Date:2012/06/19(Tue) 08:59 No.6622
今日は話題の音の元“アフターバーナー” 私も杉並に住んでいましたので朝方の雷親分のバーナー音は良く聞きました。 今日も沖縄の12TFSの機体ですが1枚目はまだテールコード未記入のF-105F(63-8289) 1967.05.13横田 36からの離陸です。晴天でもバーナーのダイヤモンドは見えました。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:geta-o Date:2012/06/19(Tue) 09:00 No.6623
2枚目も12TFSですがテールコード”ZA”が記入済み虎迷彩のF-105D(62-4299) 1968.06.22横田18からの離陸でスタートを切ったところです。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:det.H Date:2012/06/19(Tue) 11:42 No.6624
広江さん 皆さん こんにちは >すっかいうおりゃさん 雪山バックにヒャクゴの列線! 素晴らしい!
THUDさんにならってわたしもこの時代、よく見られた105編隊着陸(フォーメーションランディングなんて言葉は使っていませんでした)風景を あの時代では完全にボツ写真でしたが、いまこうして蘇りました(笑) >広江さん 今朝の立ち上がりが ? だったので心配しました ここの所の忙しいエンド展開でお疲れになられたのかと どうぞご自愛ください PS. 確かに何かが?No.6584の前カットも拡大して見ましたが、なんだか判りません
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:det.H Date:2012/06/19(Tue) 11:43 No.6625
私の銀ヒャクゴの〆はこのカットで RB-47と並んでいざ出撃! と言うのはウソ(笑)この頃よく行われていた18エンド東側エプロンでのエンテスに向かう47と偶然重なったところです
銀TACのSQN. 皆さんのコメント等で23dTFW、セブンTACが561stTFS 青白青の帯が562dTFS 、スペードが563dTFS と判りました(皆さんにとっては既知の事だと思います(汗)) 4thTFW、 ブイテンは335thTFS(CHIEFS)で有名でしたが 残りStraight WingsさんNo.6570,6571の水玉と、N.SUZUKIさんNo.6537のチェック(私は初見でした!)の部隊が判りません 4thTFWにはあと333dTFW (LANCERS)、エンジ(赤)がSqnカラー? と334thTFW(EAGLES)、イエローがSqnカラー?がいましたが、このどちらかでしょうか? それとも別TFS? どなたかご教示、よろしくお願い申し上げます
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:N.SUZUKI Date:2012/06/19(Tue) 14:45 No.6627 
広江さん、皆さんこんにちは。 部隊名の整理にと、紹介の少ない機体です。 1965年頃、夕方の横田R/W36をローアプローチするTAC部隊のF-105D 00415.10143.10147の3機です。 detHさん、手前の00415は、チェックマーク付きです。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:N.SUZUKI Date:2012/06/19(Tue) 14:51 No.6628 
続いて、1964年横田へ、F-105の3個飛行隊が配備された直後の頃の、F-105D 24366で横田R/W18からの着陸です。インテークの矢印マークは3色で、テールの番号はA、飛行隊長機でした。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:ITAZUKE-1 Date:2012/06/19(Tue) 15:02 No.6629
広江さん 皆さん こんにちは 1967年9月20日 板付R/W16に降りる F-105F 41AD 38280です。 No.6568 6869と同じ機体です。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:ITAZUKE-1 Date:2012/06/19(Tue) 15:29 No.6630
同じ日同じ機体の機首アップです。 パイロットのヘルメットは35thTFSですが、41AD所属機ですが飛行隊の特定は困難です。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:Cranberry01 Date:2012/06/19(Tue) 18:56 No.6631
広江さん、皆さん、こんばんは。 板付基地は1964年5月にFOBとなり、急に静かになってしまいました。静かになり過ぎて眠れなくなりました(笑)。しかし年に1〜2回は台風避難で賑わう事もありました。本当の事も展開訓練の為の口実の事もあったようです。1964年には8月と9月に嘉手納のF-105とRF-101が飛来しました。3日間でしたが、その間もバリバリ飛んでいました。2度共12thTFS(黄帯),67thTFS(赤帯)と15thTRSで44th TFS は飛来しませんでした。TDYだったのかも知れません。(Col.Anderson によると、嘉手納からはSQDN単位で60日単位でThaiの基地にTDYを取っていたそうです。)残念ながら私は44thTFSの青帯には一度もめぐり合えませんでした。 写真はF-105D(s/n 61-197 67TFS/18TFW)とF-105の列線です。
>ITAZUKE-1さんのNo 6629 のF-105Fは41AD司令官Col.Paul Douglas(WWllではP-47でドイツ機8機撃墜)の乗機でした。(最初にこれに気が付いたのは師匠であった故E氏でした。)翌年大佐は横田から388th TFWの司令官に転出していますが、彼の乗機F-105D(s/n 59-1743 ARKANSAS TRAVELER ,T/C JJ)は有名です。彼はその後1970年にも2度目のVetnam Tourを果たし、その時もF-4E(s/n 67-288 ,JV)は ARKANSAS TRAVELER でした。横田にいるときも描いてくれれば良かったのに、と思っていましたが、派手なマーキングは戦地だけの特例だったそうです。 やや前後していますが、この頃のPACAFのTFWの司令官はWWllの有名なACEのてんこ盛りでした。Robin Olds(8TFW),Bud Andeson(18TFW),Chuck Yeager(405TFW)等々。(皆さん自伝を書いていますが、資料的にも大変参考になります。)どなたにも会って話す機会に恵まれましたが、その元気さには驚かされました。80歳後半、いまだにP-51を飛ばす人もいるんです。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:PAPPY Date:2012/06/19(Tue) 20:49 No.6632
広江さん、皆さんこんばんは。 1967年4月5日横田R/W18エンドから通常訓練に向かう F-105F 38283 です。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:PAPPY Date:2012/06/19(Tue) 20:53 No.6633
1967年日付は違いますが、同じく通常訓練に向かう F-105D と F-105F で右から 24277 38279 38274 です。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:Straight Wings Date:2012/06/19(Tue) 21:04 No.6634 
広江さん、皆さん、こんばんは。 >geta-oさんのABの炎も鮮やかな離陸シーン、魅力的ですねー。ヒャクゴが最もヒャクゴらしさを発揮したのはまず離陸のドーン、次にやたら高速の着陸だったと自分では思っています。 1966/5/31の横田、ダートターゲットを付けて先にR/WにあがったF-105Dを追うF-105F(向かって右)と3機のF-105Dがピン抜きを受けています。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:Straight Wings Date:2012/06/19(Tue) 21:13 No.6635 
で、R/Wに4機並んで一番機 F-105FがGO! ABに点火した瞬間の!ドーン!にはいつもしびれました。ヒャクゴの後釜にやってきたF-4が二つもエンジンつけているのに離陸の”メリハリ”に欠けていて物足りなくて...ついでに言ってしまえば、まるよん並み(?)の超高速アプローチで撮るほうを緊張させてくれたヒャクゴに比べて、たこのようにふらふらと降りてくるF-4がまた物足りなくて... もちろんそのうち好きになってしまいましたが... No.6634の続きカットで1966/5/31の横田です。
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:Cranberry01 Date:2012/06/19(Tue) 22:15 No.6636
THUDの由来については自分なりに理解しているつもりでした。 1990年中ごろCol. Anderson (WWllのAce でYeager と編隊を組み、後にはEdwards AFB で共にTest Pilot.その後は18TFWの司令官。)と知り合いになり、彼のサイトに写真を使ったお返しに彼の著書を貰いましたが、その中に詳しく出ていて、へ〜〜、と改めて知る事になりました。墜落時の音が正にTHUD!だったそうで、いつの間にかパイロットの間でそう呼ばれ始めたとの事でした。 Ripublic の飛行機は重くて頑丈で、最初パイロットの間ではF-84 Thunderjet は "Hog", F-84F Thunderstreak は "Super Hog", F-105は "Ultra Hog" と呼ばれていたそうです。A-10が出てきた時には、余りの不恰好に驚き"Wart Hog"と呼んだそうです。 アメリカでも一般にはCol.Broughtonの著書"Thud Ridge"が1969年に発売されてから"Thud"と呼ばれるニックネームを知ったとの事。 まだ日本でThudが見られた頃は誰もそうは呼んでいなかった様な、あくまでも”ヒャクゴ”だったと記憶しています。 ちなみに1965年当時,6機のF-105が24時間体制でNuclear Alertに付いていたそうですが、驚くのはタンカー無しが暗黙の了解だったそうです。恐らく、それが最後まで12thTFSのThudが沖縄に残った理由だと思います。 1967年1月, 5th AF最後のGunnery Meetが板付基地で開かれ、三沢のF-100,横田のF-105,嘉手納のF-105が終結しましたが、18TFWでは44thTFSはすでに無く、67thTFSのD型を目にしたのもこれが最後でした。(67thTFS のF型は8月までは確認しています。) F-105D(s/n 60-445,67thTFS)
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:THUD Date:2012/06/20(Wed) 00:01 No.6637
1967年3月横田に着陸する(10136)です。 >det.Hさん オオッ私の好きなRB-47との組み合わせとは(私的には)贅沢なショットですね。しかし出来れば47を手前に変えていただけると嬉しいのですが。det.Hさんの技術をもってすれば不可能は無い!・・・はず(笑)でもまぁ今回は105スレなので諦めますが(笑)
Re: F-105 Thunderchief Part.7 Name:THUD Date:2012/06/20(Wed) 00:18 No.6638
|